ディスクレビュー

colormal 「losstime EP」から垣間見える祈りと新体制での新たな景色【後編】


※この記事は後編です。前編はこちら。

3曲目の「ジャンクパーツ」はこれまでのイエナガ氏の作風とは異なる爽やかなインディーチューンとなっている。強いて挙げるとすれば、彼のSoundCloudにもアップされている「シアンブルー」にも似た夏を感じさせる雰囲気ではあるが、本作もバンドメンバーそれぞれの奏でる音のキャラクターが強いこともあってソロ・ユニット時代とは一線を画す新しい領域に足を踏み入れていることがわかるだろう。


やささく氏によるコーラスのかかったギターと、サポートで迎え入れられた猫を堕ろすの伊藤氏が奏でるシンセサイザーが楽曲全体に風を感じさせるような雰囲気を出している。
初めて聴いた際には驚きを感じたが、その歌詞を見れば今までのcolormalと地続きであることは明白である。
〈スポットライトなんて今さらきっと似合わないし 踵返した 秋空が憎い〉とは、なんて彼らしい歌詞なのだろう。夏の日差しを感じさせる音像にどこかナードな彼自身を投影したかのような雰囲気はまさにバンド:colormalそのものである。

そしてこのEPは4曲目の「延命」によってその圧倒的な質量を剥き出しにして終わりを迎える。
この楽曲は以前イエナガ氏がインスタライブで酒を片手に淡々と制作していたデモ曲が元になっており、筆者もその光景をぼんやりとベッドでスマホを開いて眺めていたが、まさかこんな形で完成するとは想像もしていなかった。

楽曲自体は6分14秒と「夢みる季節」とほぼ同じ長尺であるが、その楽曲展開やGRAPEVINEを彷彿とさせる独特なコード感によって飽きずにその中身を味わい尽くすことができる。
ドラマチックなサビのメロディはindiegrabのインタビュー時にも影響を受けていると話していたMr.Childrenを彷彿とさせつつも、そこに混在するイエナガ氏特有のメロディセンスが「merkmal」リリース時から確固として存在していることがわかるのもファンには嬉しい部分だ。
特に二番サビが終わってからの1分にもなるギターソロと往年のサイケデリックロックを思わせる曲展開は誰もが息を飲むだろう。これは特に今の”バンドとしてのcolormal”でしか生まれない一節だと思う。


ここで楽曲タイトルにもフォーカスを当てるが、本来の意味での「延命」の英語表現は”prolonging life”である。
しかしこの楽曲は英語表記で本EPのタイトルである「losstime」と名付けられており、colormalファンなら真っ先にMr.Childrenの「losstime」が想起されるのではないだろうか。Mr.Childrenの「losstime」の歌詞にも〈生きたいように 今日を生きるさ〉という一文があるが今作も同様に命を伸ばすことをその主題とはしていない。

筆者が思うにこの楽曲は、巡り巡ってバンドとして生還を果たした”元ソロ・ユニットcolormal=イエナガ氏”の過程とバンドという形で新たな身体を獲得したその後の人生の拡張を表しているのではないだろうか。

「大学進学後、バンドを始められなかった」という理由でイエナガ氏が学生時代にスタートしたソロ・ユニットcolormalは煮詰めまくって鍋の底で固まった様な執念の塊である「merkmal」を生み出して、多くのファンを魅了したが、その後の彼は正直、楽曲制作には非常に苦労が伴ったのではないかと思う。

社会人になってからの多忙な日々によって宅録での作業時間は失われ、かたや音楽の道を歩む彼の友人達を見続けているのはある種の切なさを伴うものだったのかもしれない。”生活”という切り離せない日々は病のようにイエナガ氏自身を蝕み続け、いつしかソロ・ユニットcolormalとしての身体も失いつつあったのではないだろうか。

彼は「merkmal」リリース後に小休止を挟んだ後、いずれ迎えるソロの終わりを見据えてなのか、サポートメンバーを入れてライブという現場を謳歌する様になった。その中で制作され、現場で歌われるようになった楽曲「優しい幽霊」ではこんな歌詞がある。

〈ねえ あの日話した夢はもう 叶わなかったどころがさ 今じゃもう アンテナも張れず萎れていったんだ〉
筆者は特にこの楽曲が好きでどこか自分自身を重ねて聴いていたのだが、そのテーマには諦念がまとわりついていたように思える。

この楽曲制作時の彼は友人達と決して同じ様に音楽の道は歩けないと感じていた時期だったのだろうか。
移ろう季節が、昔抱いた夢や熱量を徐々に冷ましていく悍ましいほど穏やかな日々は誰しもが抱えるものであう。
真剣に向き合うことすら苦しい現実を、等身大で描く人間味のあるイエナガ氏がとても愛おしく、ライブでこの曲が演奏される度に筆者は胸が締め付けられる思いで彼の歌う姿を眺めていた。

イエナガ氏がそのライブ活動を続ける中で、”生活”という病に冒されたcolormalの臓器がサポートメンバーによって生体移植の様に入れ替わっていく日々は必然だったのだと筆者は考える。
もう彼が彼だけで作り続けていた<ソロ・ユニットのcolormal>は戻らないだろう。それほどまでにサポートメンバーの支えは彼自身=colormalを大きく変えたのだと思う。

いずれ来るソロ・ユニットのゆったりとした終わりは、イエナガ氏自身もわかっていたのだろうか。
本EPのラストナンバー「延命」はその後のバンド活動を伸ばすことに対する意欲の様なものではなく、結末を見据えていたと思われるイエナガ氏が、サポートメンバーによって新たな身体を獲得したcolormalというバンドで”残された時間=losstime”を過ごすだけだという、いずれ誰もが迎える終わりに対する姿勢の表れなのだと筆者は感じた。

〈まともさが服着て 俺を看取ると云って 試したり 掻き集めたり しょうもない〉
その一節が含まれたこの歌詞は、それまでの彼自身を包む湿度の高い日々への噛みつきに違いない。
サポートメンバーとして支えてくれた3人と共にバンド体制となったcolormalはこれから先の活動で、これらに冒される日々があっても笑い合いながら彼ら自身の道を歩めるのではないだろうか。

バンド体制となって以降制作された3曲と、ソロ・ユニット時代の代表曲である「さまよう」をバンドメンバーと共に再解釈して収録した「losstime-EP」は、前作「merkmal」との橋渡し的な要素を多分に含んでおり既存リスナーの心をしっかりと掴むだろうし、バンドとして今までと全く異なる音像でアプローチすることは新規リスナーの耳にもきっと届くものになっている。これからの彼らの活躍に一層の期待が高まる。